健康塾で整体の勉強をしている方と卒業生のご紹介です。
- 真愈整体師。第二の人生充実中です。(New)
- 主婦から大きくサロンを発展させたがんばり屋さん。
- 奄美大島から研修に来られる石原さん。
- 岐阜から通いの内弟子で頑張っている林さん。
- 一日3人の施術、女性専用のプライベートサロンを立ち上げる。
- 整体への道は自己実現への道。
- 広島から大阪に引っ越してきて通いの内弟子で頑張った松林さん。
「整体・O脚矯正の森愈庵」 代表 森 慎也 さん
◆ 私のことをまず…
私は現在、47歳。東大阪市の公立中学の国語科教諭として教壇に立ち、
私なりに精一杯、仕事に打ち込み、やりがいを感じていました。
ところが、教師になって8年目ぐらいより、仕事のある日の朝だけ、
起きると、嘔吐を繰り返すようになりました。
そうしているうちに、寝間から起き上がれない日があり、その日が続いたときには、
やむを得ず仕事を一定の期間休むことを余儀なくされました。
診断書の病名は「抑うつ状態」とありました。休みの期間は、病気克服のために、
心療内科でかなりのカウンセリングを受け、心理学や精神修養の書物をかなり読みました。
そして、復帰し、なんとかこなしていたのですが、再び、発病。
そこで、心療内科に加えて、体を鍛えることで解決しようとし、「気功・ヨガ」の道場に通いました。
その中で、体を鍛え整えることで心も元気になり、
心をリラックスさせることで体も健康になるという、
心と体の相関関係、いわゆる「心身一如」という捉え方に出会い、非常に興味を強くし、
「気功・ヨガ」により心・体の安寧を目指しましたが、結局、
時折押し寄せる抑うつ状態は克服できず、
2006年8月に23年間勤めてきた中学校教諭の職を辞しました。
大好きだった教職を離れ、失意の中、第2の人生設計を立てるべく、
やはり、自分は人間関係の中で学び、成長しようとする星の下に生まれたんだと結論付けました。
最初は、介護の仕事を考えましたが、どうしても頭から離れない事柄がありました。
それは、約15年間、自分にとって大きな敵(今から考えると、
人生の貴重な勉強材料と言えるのですが…)であった
「うつ」を克服するために培ってきた知識や経験を用いて
自分と同じ苦しみの中にいる人々のお役に立ちたい、
もっと本音をむき出しにして言うなら、
「自分を苦しめた『うつ』に敵討ちを果たしたい」という思いが強くなり、
それを東洋医学(代替医療)でもってできないだろうかと、書物やネットを通して、情報を集めました。
鍼灸・整復の国家資格の取れる専門学校から、
カイロ・推拿・リンパマッサージ・整体・リフレクソロジー・ボディワーク…の各種学校・セミナー等等。
インターネットを用いて、隈なくありとあらゆる学びの場を調べました。
そんな中で、規模的に言えば決してメジャーとは言えませんが、
私の心から離れず、気になってしょうがない学校が真愈整体を教える「健康塾」でした。
そうです、健康塾に出会えました。
「出会う」という言葉には、なにか偶然にというような響きがあるのですが、
誰かの受け売りではありませんが、私は必然的に「健康塾」、
つまりは「岡田俊一先生」と出会わせて頂いたと考えております。
◆ なぜ、「健康塾」?
数ある諸学校のうち、どうして「健康塾」だったのか?
理由の一つは、前述のように、
「人と関わる仕事」・「人に楽になってもらい、喜んでもらえる仕事」・
「体だけでなく、心も楽になってもらえる仕事」
という条件をクリアーする学校は、いくつかありました。
その中で最も私の心を捉えたのは「健康塾」でした。
資格という面から言えば、
「鍼灸・柔復」等の専門学校に行けば、国家資格が取得できます。
しかし、クライアントとじっくりと会話し、そして、時間をかけて施術し、
その共同作業の中で、治癒へと向かう。その足跡を振り返ると、
体の健やかさだけでなく、心の成長も共に実感できる。そのような空間を、
匂いを、ドリームを「健康塾の真愈整体」のHPを見たときに強く感じました。
「こういうことは、慎重に選ばなければ。」との理性にしたがって、
それ以外の学校もいろいろ調べる一方で、「健康塾」への渇望は強くなるばかりで、
心の奥底から急かされるように岡田先生に面接の依頼のメールを出しました。
返事のメールがすぐに返ってこないことなど、よくあることなのですが、
その数日間がとても長く感じ、3日後ぐらいに、
思わず「1日でも早く、お会いして、学校の内容について教えていただきたい。」
との催促のメールを出しました。
普段は、どちらかと言うと気の長いほうなのですが、そのときはいても経ってもいられない気持ちでした。
そして、初めて岡田先生とお会いしたときの感想を日記に記していたので、そのまま載せます。
2006.11.15付
日記より 「今日は、初めて岡田俊一先生とお会いした。
今までメールだけでの接触だったが 実際にお会いして、その若々しさ、
気遣いの細やかさ、話の明確さ、私の目指し ているホリスティック的癒しの方向、
ネットワークを重要視する姿勢…まだまだ あるが、私の求めていた師匠と出会えたように思う。
約75分の面接だったが、 あまりの喜びから涙が出そうになってこらえた。
先生は、その場のエネルギーの 和を大切にされるゆえに、生徒は選ばれるとのこと。
私は選ばれた。というよりも、 天によって引き合わされた。
その天の力、導きを信じて、疑わずに行こう。それ が一番、大切なことだと思う。」
◆ 湧き出る泉のような授業
初めにオリエンテーション的な授業を受け、その後は、
普通生徒2名と先生とで1コマ2時間の授業が、スタートしました。
前半が、質問を中心とした講義、後半が実技指導となります。
時間は、そのときの内容によって割り振られます。
講義は、生理・解剖学、病理学、衛生学等については、
与えられたテキストや書籍を読んで独学を求められます。
そして、生の臨床の現場での必要な知識、手技について、
生徒からの自由な質問に答えるという形で進められます。
私も長年、中学校教員をやってきたので、教科書を用いないで、
生徒に主導権を与え、自由な質問を受ける、出たとこ勝負の授業の難しさは、よく知っています。
しかし、岡田先生は、
機能解剖・各疾患への対応・心へのアプローチの仕方・臨床のあり方・各体操・営業への指導…
どんな質問に対しても、よどむことなく、あの巧みな話術によって、教えてくださいます。
まさしく、湧き出る泉のようにです。
それだけの豊富な知識を得るには、ご本人は一切おっしゃいませんが、
相当の努力をされてきたことを感じます。
そのことでだけでも、授業の際は自然にぴんと背筋が伸びます。
◆ 技術は足し算、心はかけ算
数々の質問形式の講義の中で、前述したようにありとあらゆる分野の質問をし、
私の力量に応じた分かりやすいご指導をいただきました。
その中でも、私自身の授業において、先生が一番、強調されていたと思うことは、
「技術は足し算、心はかけ算」ということではなかったかと思います。
まずは、「施術者の心」。 人を癒す施術院は「いいエネルギー場」でないといけない。
そのためには、「感謝・愛する気持ち」を持ち、「祈り心」でもって施術に臨まなければならない。
施術者は「直感を研ぎ澄ませ」、クライアントの癒しへのツボに手が届くようにならないといけない。
「自分の押すところがツボなんだ」というぐらいの自信を持ちなさい。
しかし、自信を持つためには、知識を深め、臨床のデータを多く持ち、
「自らが確信して施術に臨む」ことが必要であると教えられました。
次に、「クライアントの心」。
まずは、クライアントが施術者を信頼するか否かが癒しへの大きなポイントとなる。
よって、信頼されるような言動を施術者には求められる。
また、体と心は繋がっている。
クライアントの体の疾患は、クライアントも自覚していない心からのメッセージの場合もある。
施術者は、会話の中で、それに気付き、クライアントが未だ自覚していない心にも目を向けさせ、
治癒へと導く力量をもつけるべきである。
それと、クライアントの意識・無意識に関わり無く、ネガティブな情報を入れるべきではない。
反対に、ポジティブな情報を入れるとともに、
ポジティブな情報が入るようなクライアント自身の生活パターンを施術者は指導しなければならない。
これらの「整体における心の占める重要性」を数々の臨床例とともに、
具体的な形で教えられ、自らも体だけでなく、心も見れる整体師を目指しています。
◆ いつのまにか…
2007年の岡田先生への年賀状に、私は次のように書かせてもらいました。
「…どうか、厳しく育ててください。…」 厳しく育てるとは、生徒にきつい物言いをする、
時には雷も辞さないと、取られがちですが、
私も教育の現場に携わった者として言えるのですが、決してそれだけでは、
生徒たちに本当の意味での指導は入りません。
まず、教える者が自らに厳しくないと、生徒は「僕らには厳しいことを要求するのに、
先生は楽してるやん!」と、その教師への評価を下します。
私の知る岡田先生は、とっても気さくで、話しやすく、温和な方です。
でも、先生いわく、
「昔は生徒が後からナイフが飛んでくるんちゃうかと思うぐらい怖かった言うとった。」らしいです。
そんな、殺気だった怖さは、今の岡田先生にはありません。
しかし、生徒の何十倍も努力されている姿を見せられると、
自然に背筋がピンと伸ばされるのです。
たとえば、「挨拶」。
クライアントに対してだけでなく、生徒に対しても、本当に深々と気持ちを込めて挨拶をされます。
また、我々生徒のレベルの低い質問についても、丁寧に、
その生徒のレベルに合わせて、時間をかけて説明してくださいます。
特に、整体師にとっての命である実技においても、生徒2人がモデルとなって、
施術のやりあいをし、それを先生が横から見て、指導をするのですが、
先生が気を抜いて、何か他の作業をしているのを見たことがありません。
同じことでも何度も何度も指摘して、
よりよい施術ができるようにまさしくマンツーマンで教えてくださいます。
先生が気を抜いていないから、生徒は自然に気が入るのです。
あっという間に、2時間の授業が終わってしまっていました。
授業等の連絡のメールもこまめにしてくださいます。
先生は、日ごろから、
「1H5000円の施術料をいただこうと思うのなら、
1H10000円分の施術ができないといけない。」と、おっしゃいます。
それを、健康塾真愈整体学院でも実践されているのだと思います。
だから、入った間なしは、それほど怖い存在ではなかった岡田先生が、
いつのまにかにだんだんと怖い存在へと、自分の中で変化してくるのです。
怖いと言う言葉は適切でなく、「畏敬の念」を抱くようになるのです。
◆ 整体をひとつのツールとして
私は、学院を2007年8月に卒院後、準備の期間を経て、
週2日は介護デイサービスにて介護士として働き、
残りの5日間を自宅にて整体院を開業し、現在に至っています。
学院を卒院した現在も、先生にはメール等で、ご指導をいただいています。
そして、時には、厳しいご指導をいただきます。
この歳になっての厳しい指導は、普通は受け取りづらいものですが、
岡田先生のそれは、私の心にすっと入ってきて、
内なるところで、納得し、反省心が起こり、学びへと導かれます。
やはり、そこには、自分の理を通すための意見ではなく、
生徒である私を一人前の整体師として育てようという、自分中心の価値観でなく、
相手中心の価値観で考えておられるからでしょう。
前職の教師として、私はこのことが一番足りなかったことだと、
今となっては思います。生徒のために思いつつも、
やはり自分が円の一番真ん中にいると思って、行動していました。
人生の師匠として存在してくださっています。
岡田先生の、授業の中で
「整体は一つのツール(道具)にすぎない。」と、よく言われました。
つまり、健康塾で学んだ整体師は、ただ、
整体が上手になるだけにとどまらないで、
自らを磨いていきなさいと教えられたように思います。
そして、私も、今まではあまりできませんでしたが、自らに厳しくなり、
クライアント(だけでなく、周りの人たちもです)の幸せを心底願って、
行動できる整体師になるという目標を持って、日々精進していこうと思います。
岡田先生、本当にありがとうございました。そして、これからもずっとよろしくお願いいたします。
アロマテラピーサロン「RiRA」 代表 松本 直美 さん
◆ 力を抜くって・・・!
現在、アロマテラピーサロンを運営中です。
なんてカッコいい事が言えるのは岡田先生のおかげです。
友人の口伝えで通い始めた健康塾では、リフレクソロジーの勉強をしました。
今までやったことのない骨格や筋肉、神経系の勉強、
更に「セラピスト自身が癒されていなくてはクライアントは癒せない」と
いうことで「力を抜く」という体験もしました。
わかったようなわからないような私を熱心に教えてくださり、
お陰で無事終了できました。
◆ そっと背中を「ぽんっ!」
さぁ〜これから開店の準備です。
初めてのことで何から準備すれば良いのかまったくわかりません。
そんな私を後ろからポン!
と押してくださり、 お忙しい中、開店準備にお力を貸して頂き
、その後も的確なアドバイスを 頂きながら現在に至っております。
ただ教えるだけではなくすべての生徒さんの成功のためには
惜しまずに応援してくださる姿勢に感謝の気持ちでいっぱいです。
◆ 私頑張ってま〜すっ!
現在はアロマも取り入れてメニューも増やし、
サロンらしくなってきておりますが、
まったくド素人の私一人では ここまでできなかったと思っております。
きっかけとかチャンスとか出会いによって、
その人の人生を変えてしまうって身をもって体験いたしました。
いつまでも見守っていてくださってありがとうございます。
これからもたくさんの生徒さんの成功の為に 熱い思いを注いでくださいませ。
先生のお身体をいたわることも忘れないでくださいね。
これからもよろしくお願いいたします。 ありがとうございました。
アロマ&整体 「あかり・りらっくす〜」 代表 石原 圭 さん
◆ プロローグ:こころと技術
数年前、岡田先生が司会を務められた、整体の会合で、
「施術には、『こころ』が大事か、
『技術』が大事か」 という内容の意見交換がありました。
開業者や整体を学ぶ者たちの集まりでしたから、
その場で、どちらが大事なのか、
答えを出すことが目的ではなく、
施術に対する心構えのようなものを お互い、再認識する機会となりました。
・・・施術における「こころ」と「技術」。
今、これを読まれているあなたは、どちらが大事だと 思われますか?
わたしは、施術には、「こころ」も「技術」も、両方大事だと信じています。
(「こころ」と「技術」で、変わっていくことは多いですが、
「相性」や「縁」や「タイミング」など、他にもステキな要素がありますよね〜。Smile!)
◆ 健康塾で学んだ、こころ
まず、こころ。
個人的な考えですが、こころの部分は、整体の学校に通わなくとも、
自身の出会いや経験から、学ぶこと「も」 できます。
施術における関連法規等への常識ある対応は、たしかに授業が有効ですが、
こころ自体は、生きていく中で、感じていくものだからです
別の言い方をすれば、性格の良い師匠と出会ったからといって、
生徒の性格が良くなるとも限らない。
こころは、より多くの出会いの中で、
良くも悪くも、人や周りをみつめいってこそ、養われていくものだと思うのです。
ただし、健康塾に通う中で、学んだ「こころ」の部分は、おもいのほか、多いです。
似た志をもつ塾生の方々とのさまざまな出会いがありました。
そして、なにより、岡田先生とも、授業の中で、
随分、膝をつきあわせて語りました。語りました、
などというとキレイですが、まるで言い合いのように(笑)、
「学んだ」ことだってありました。
どうやら、物事の表現方法が、岡田先生とわたしとでは違うようで、
また、考え方の違いなどから、誤解が生じることもありました。
おそらく、岡田先生も「そんなことゆってるんとちゃうのに」
と感じられたことがあるでしょうし、
わたしも、「そんなことをゆっているんではないんです」と感じることがありました。
それでもなお、師事しているのは、岡田先生への信頼、
そして岡田先生の生徒に対する責任感のおかげだと思います。
誤解がないよう加えますが、岡田先生の話し方が悪いのではないんですよ。
真剣に学ぶ・岡田先生の言葉を漏れることなく聴きたい、
という気持ちがあれば、そういうことも起こりうるということです。
もしも、健康塾で学ばれるなら、岡田先生に、疑問をぶつけて、
返ってくる答えを全身で受け止めてみてください。
わからないことは、もう一度、ぶつけてみてくださいね、
忍耐つよく、責任をもって、返してくださいます。
穏やかな話も、もちろん、たくさんあります、
健康塾では、さまざまに、「こころ」が学べます。
◆ 健康塾で学んだ、知識・技術と、みっちり授業
健康塾の直接指導のレベルは、相当、高いです。
なぜなら、岡田先生は、
何十年もかけて経験され研究されてきたことを 惜しみ無く、
教えてくださるからです。
「寺小屋方式(1〜2人の少人数制)」ですが、
少人数だから聞き易いだけではなく、
健康塾の特色は、岡田先生ならではの教え方にあります。
岡田先生は、次から次へと教えてくださるんですね〜。
一つのことを伺っても、三つも四つも五つも返ってきます。
たとえば、「腰痛についての施術法」を聞くとします。
すると、「施術法」だけでなく、
「問診の要素」「痛みの種類」「疾患の種類と内容」「骨格や筋肉の動き方」「整体の役割」
「ホームケア(家でできること)」まだまだあります、
とにかく、どんどんどんどん話が進んでいくのです。
無駄な話は一つもありません。
岡田先生ご自身が時間の大切さをご存知なので、
健康塾では、「みっちり」、「知識」と「技術」が学べます。
◆ 健康塾で学んだ、手技療法と医学の関係
また、岡田先生が、手技療法に、固執されていないことも、
健康塾の良さだと思います。
状況によっては、お客様(クライアント様)に、
病院に行かれることを勧めることも重要だとおっしゃいます。
東洋医学・西洋医学 問わず、
現代の医学の流れにも関心を寄せられていらっしゃっていて、
ホリスティック医療の分野にも、積極的に、参画されています。
効果的な手技療法の役割をご存知であり
(↑いろんな手技があるでしょうから、効果的な手技療法、と書きました)、
手技療法が確立した分野だという自信があるからかもしれません。
医学界と対等につきあえるだけの「こころ」と「技術」が、
健康塾・岡田俊一先生にはあるのです。
◆ エピローグ:良い学びの場・的確な先生を
岡田先生と出会って、すでに8年以上が過ぎました。
「総合整体の資格」を得てからも、
なお、「健康塾の研修科」に通うことを決めたのは、
岡田先生の知識と技術が深く、信用できたからです。
そして今、「整体の育成・指導に 真摯な 岡田先生から学べて良かった」と思っています。
実技の時間は、「何を学びたいか」を 聞いてくださることが多いです。
岡田先生からは高度な技術を学べますから、
実技の時間は、安易な施術で「できる自分を見せる」より、
「苦手な分野に挑戦し克服していく」ことも可能ですよ。
わたしは整体を学び始めた頃、開業をめざしていませんでしたが、
開業予定の方も、そうでない方も、
健康塾で学ぶなら、自分のお店をもつことを想定しながら、
岡田先生の授業に臨まれることをお勧めします。
プロフェッショナルな岡田先生のもとで、
プロフェッショナルな施術や意識を 養ってください♪
現在、わたしが、良い形でトリートメント(施術)の仕事ができるのは、
「施術はお客様とつくり出すもの」という考え方があるからです。
お客様と一緒につくる時間は かけがえありません。
授業で教わったことは、現場で反映することばかりです。活きてくるはずです。
先生を選ぶ、という言い方は、大それて聞こえますが、
せっかく学ぶなら、みなさま、ぜひ、良い先生を「見つけて」くださいね。
スポンジが水を吸収するがごとく、
いろんなことを吸収させて(学ばせて)くださる先生が良いとおもいます。ぜひ。
「奄美大島 アロマ&整体 あかり・りらっくす〜」さんのホームページ
〒894-0027 奄美市名瀬末広町9−24 松元ビル3階
「真愈整体の会」東日本支部長 江奈整体 代表 林 哲也 さん
◆ プロフィールを兼ねて今までの生い立ちを長々と
平成元年、高校を卒業して社会人となった私は、その頃から腰痛、頭痛に悩まされ、
時が経てば経つほど痛みの箇所が増え、痛み、痺れ、
感覚麻痺の症状は酷くなり、痛みの総合デパートとなっていきました。
その頃、すでに父は整体師でした。
そう、私は二代目整体師なのです。
父に整体を受けると、確かに楽にはなっていました。
今思えば自分自身が痛みの製造機だったのを気づかないまま、
目先の痛みをなんとかしてほしい一身で、
父や真正会の会長に整体を受け、それでも足りないと、あっちの病院
こっちの整体院、そこの代替医療と巡りました。
今までにもう、数え切れないほどの治療家に関わってきました。患者として。
◆ 「何でこんなに次から次へと痛いんだろう?」
なんで?の疑問は、私をかり立てました。
そしていつの間にか整体(人体)に興味が沸き、
自分自身の体や、家族、整体会のメンバー、友人が私の実験台になっていったのです。
父は、整体の基本を私に叩き込みました。手取り足取り教えて頂いた訳ではなく、
常に技を盗むという事が多かったと思います。
どうしても分からない事だけの質問は答えてくれましたが、
「自分で考えろ」が多かったでしょうか。しかし親子、
後で気づけば、ちゃんと見ていてくれました、木の上から。
整体師として活動は始めたものの、その時はサラリーマンでありながら職人の電気工事業から、
電話工事に、更に独立経営にむけて躍進中だったため、
昼は現場に出ながらにして経営人、夜や休日は出張整体師でした。
サラリーマンの時は後輩の相談によく乗り、おこがましいのですが、
信頼できる先輩だったのですが、
いざ経営に変ると同時に利益、つまり金、金、金に代わり、
人を物扱いし、最低の経営陣になってしまっていたのです。
そんな時、私が信頼していた親会社の上司が、
「哲、人は物じゃないぞ、人を使うとか使われるとか言うな!」
その時に「はっ」と気づき大事な事を思い出したのです。
そうです、人と人とは関わっていくのです。
それからしばらく月日が流れ、いつしか整体会の会長に
「技を極めろ」っと言われました。
それは二束のわらじを履いていた私の最終警告のようなもので、
どちらかに決めろということでした。
以前は「お前は若いから見た目で判断される、40歳くらいから開業しろ」っと言っていたのに・・・。
正直、迷いに迷いました。このまま整体を離れた方が安定していると思ったからです。
しかし、その頃にはあの強烈な痛みは消え、何をしたのかといえば、
父や、会長の脊椎矯正ですべて痛みが取れていたのかと思っていました。
ならば、あれだけ痛みの総合デパートだった私が、
どんどん良くなって来ているのだから、辛い人に伝えていこうと思い、
技を極めるため、父(甘え)から離れ、会長直々の指導に変っていきました。
通信業界を離れ、整体師一本で、
父と二人で同じ整体院で施術を始めてから何回目の壁だったのだろう。
つまり、父との信頼関係はあるものの、私とはない。出張先ではとても思えない現実、
私は父の手元、おでっちでしか見てくれていなかったのです。
出張先では「先生」と呼ばれ、江奈整体では未熟者。これは辛かった。
その頃に診えていた方は年配ばかり、
いや、年配が嫌という訳ではないが、
一ヶ月をかけて同じ方が入れ替わるだけ。
こんな整体をしたかったのではないと思い続け、後悔ばかりしていた。
◆ 一代目の倍の結果をだしてやっと普通
ここで引いたら自分の負け、辞める事はいつでも出来るなら、やれるとこまでやってやる。
そう歯をくいしばり、無我夢中で一生懸命だった。常に技の向上に明け暮れていた。
それからというもの、父でなくては嫌だという方もいましたが、信頼も得だし、
新しい方も増えていつしか全ての方に「先生」と呼ばれるようになっていきました。
◆ 会長の一言
不動の地位、今は名誉会長でもある、岐阜県関市の山中英一会長ですが、
口の悪い会長でした、でも、その言葉の裏返しにどれだけの優しさが詰まっていたのかを、
どれだけの人が分かっていただろう・・・。
「おまはん、たーけか」あなたはバカですかという方言でしたが、お客さんに、
この言葉をキャッチフレーズにしているぐらいの口の悪い人でしたが、ある時の会合でいきなり
「あのな、腰の痛いやつはな、包丁もって追いかけてみろ、治ってまうで、
それからな、肩の上がらんやつはな、治安の悪い所に連れて行ってな、
ピストルむけられて「手を上げろ」って言われてみろ、すっと上がるで。」
いきなりの発言に、「このおっさん、昼間っから酔っぱらっとるんかいな」っと、
怒りをぶつけたことがあります。
後になり、その真髄を知らぬがままに・・・。
会長とは、整体に対してお互いに妥協はしませんでした、
整体に関しては常に真摯でありながらも周りの目も気にせず、
激論をしていました。悔しかったのは、いつも最後は経験の差でまとめられてしまった事です。
整体会では犬猿の仲でしたが、整体を離れると、
二人で飲みに行ったり、二人で旅行に行ったり・・・
もう一人の父のような存在でした。そう、過去形です、この世を去っていきました。
会長の、会長との整体論は、今になり全てつながって来る。
実は直接言わなかったものの、分かっていたのである。
会長のエピソードは語りつくせないほどあるが、これは私の宝として取って置こうと思う。
◆ 先生と呼ばれるようになって
勉強をやめていました。技術の向上も止め、目先の患者に日々追われ、
先生と呼ばれ、技の過信(テング)になっていたのです。どんな痛みも、
病気も自分の技で何でも治る。そう思い込んでいました。
流行る治療家だったのでしょう。そこで満足すれば、
それはそれでよかったのかもしれませんが・・・。
◆ 嫌な客は診ない
その時の嫌な客とは、予約した時間に来ない人、
お金を払えば当たり前の様に来る人、私を見るが否や見下して話す人でした。
今はといえば、時間遅れれば、次の方に迷惑がかかるので、
その時々ではありますが、後日ということになります。
ひとそれぞれに事情がありますが、謝罪もなく、
当たり前の様に入ってくる方はやはりご遠慮願っています。
あなたを中心に私はまわりませんから。
父の頃からのお客さんはなるべく父に任せています。
これは純粋に嫌ではなく、その人がより良い結果を出すには、
私より父のほうだと思うからです。
これは技だけではない、信頼関係という大きな部分があるからです。
もう、月に数人になってしまいましたが、現役の整体師です、
同じ時間に二人が一緒に整体ということは無くなってしまいましたが、
父が整体師じゃなかったら、この道を知らないまま
また違う人生を歩んでいたことでしょう。
今でも、尊敬と感謝は忘れていません。
「嫌な客は診ない」技の過信者だった頃はそうでしたが、
今でもそのスタイルは変っていません。
でも不思議なんですね、もう嫌な客は来ないんです。
◆ 固定客は作らない
「治ったらさっさとここから離れて行きなさい」とその頃は言っていました。
しかし現実は違いました。
整体をしても、当たり前のように痛みを出して治せと言わんばかり。
それでも、一回で痛みが取れる人、
数回で取れる人、痛みが取れない(治らん)人、
「治らない」と言いながら来る人、
同じ事をしているのにこの差はなんだろうと疑問に感じるようになってきました。
「そうか、どれだけ脊椎矯正しても、不養生してるんだからその人の生活、
性格そのものを根本から変えなくては」
それからまた、学びは始まった。
本を手当たりしだい読んだ。行ける範囲でセミナー、
講習などに足を運んだが、決まってオチは講師の自慢大会か、
金儲けのしかただった。
もう、うんざりしていた。スパイのようにあっちこっちと足を運んでも、
やっぱり技になってしまう。
◆ ホリスティック医学協会に出逢い
はっきり覚えていないが、確か新聞か広告なのか、
生活習慣病予防士、指導士という資格があり
後日、希望していた案内が届き、目を通すと、
まさに「これだ!」と思い予防士の資格取得のため勉強を始めました。
テキストはしたかったことそのままだった、
そしてホリ協のコンセプトは私の考えとリンクする部分も多かったし、
教わる事が多く、まさに新鮮そのものでした。
無事、予防士の資格を取得し、更に指導士を目指し課題試験も通過して、
指導士のためのスクーリングのため大阪に行った。
◆ 全てはここから始まる
いざ大阪にスクーリングという時に、かかった事のないインフルエンザになってしまったのです。
なんというタイミングの悪さ、それでも、行かなくては今までの事が水の泡になってしまう。
そう思い、ふらふらのまま大阪に向かったのです。
◆ 衝撃の出逢い
なんとか大阪に行き、会場に着いた時、入り口に立っていたのが岡田俊一先生でした。
先生のスクーリングが始まってから、進めば進むほど、何か今までに感じたことのない、
インフルエンザなど吹っ飛んでいくようなまさに激震。
こみ上げて来る何か。今まで出会った事のない人物でありました。
自分の治療の自慢を一切しない、
人の話を聞き、整体のスタイルは技は違えど似ていて、
私の未来像のような人でした。
岐阜に帰り、インフルエンザも治って、
いざ岡田先生にメールを送ります。
ふられました、最初。
でも、先生のホームページを隅から隅まで読めば読むほど、メールを送り続けていたのです。
いわば、遠距離ストーカーです。
それからというもの、私が送った質問メールに毎回、
先生は直接な師匠ではないのにも関わらず丁寧なアドバイスをくれたのです。
そして、何回か個人的に直接お会いし、ありがたい指導をしていただいたのです。
岡田先生は野口晴哉氏を天才と言った、
私は岡田氏を天才であり努力家で、整体の神様だと思う。
◆ TMS ジャパンを紹介され
先生に「読んでみて」と紹介されたのが腰痛は終わるという本でした。
これは脊椎矯正をベースにしている私には受け入れられない、
まさに根底を覆させられる出会いになったのです。
二人の自分に葛藤しました。しかし認めざるを得ないことが多々あるのです。
そう、痛みの総合デパートだった頃の私に思い当たる節があったからです。
「動作恐怖症」巡り巡っていた頃の私は、医師、
治療家に呪文(ヌーシーボ)をかけられ、完全に行動規制をかけられ、
やりたいことも出来ない、
アドバイスを忠実に守っていたがゆえにがんじがらめになっていたからです。
◆ 整骨師から整体師へ
確かに、駆け出しとか、未熟者とか言えない立場になりました。
治療家と同時に、指導者としての立場にもなっています。
謙虚な姿勢は忘れません、痛みを知っている、
常に身近な整体師であり続けていきたいと思いますが、
もう過信はしません。
学びました、これからも学び続けます。整体師として、
いや、人として大事なことに気づきました。
人の生活、性格を変えようと始めた勉強が、いつしか自分が変り、
なにもしていないのに周りが変っていく。
人は変えられません、自分が変らなければ、そして、
自分を取り巻く一切が自分の鏡だということに気づいたのです。
◆ 真愈整体の会東日本支部 支部長を任命され
真正流整体術師会は、過剰営利から離れていました。
だから簡単に入会できない会になりましたが、
技の過信の部分では、会合のたびに技量不足な私を追い込みます。
技の過信、営利から一番遠い会・・・。
その時、岡田先生から新しく会を作るからと言われ、そのコンセプトは願ったり叶ったりでした。
◆ にもかかわらず
現役の整体師、指導者でありながらにして、2006年の現在、真愈整体学院一期生として、
岡田俊一先生を直接の指導者として弟子入りを許可して頂きました。つまり生徒です。
何故か・・・。分かりやすく、直接の指導や、メッセージはありますが、
岡田先生が何気なく言った言葉や、何気ない文章に分かったつもりで、
後になり「この事か!」っと身震いすることが多々あります。
直接学べば、私はひとまわりも、いや、それ以上になる事を確信したからです。
しかし先生はこう言ってくれます、
「師匠とか弟子とかではなく、仲間だと思っています。」
感極まるほどの嬉しい思いと同時に、重みを感じています。先生の仲間ということは・・・。
前に進むのみ、今までの人生に後悔なし。
今までの経験なくして今の私はないと確信しております。
私は整体に情熱を持ち続けたい。
◆ 運命の日、整体との出会い
「あー、気持ちワル。今日も吐き気するし頭が痛いなー。
薬でも飲んで頑張って会社に行こう。」
当時、OLだった私は月の内2,3日はこうした症状が出ていた。
原因は高校生の頃からの肩こりで、ひどい偏頭痛を伴うようになったのはOLの頃からである。
毎月このような症状が出ると何の疑いもなく薬を服用していたが、
ある日常備薬の薬を飲んだ直後から、胃がキリキリと痛み出し、
冷や汗がでてきて吐き気がいっそう強くなった。その日は会社を早退した。
体が薬を受け付けなくなったみたいで、
それからは頭痛や吐き気が起こっても気合で通す日が続いた。
そんな会社の帰り道ソフト整体の看板が目に飛び込んできた。
この肩こりが楽になったらいいなーとの思いで、お店を訪ねてみた。
施術を受けた後は身体全体がスーッと軽くなって、頭痛もなくなった。
何よりも嬉しかったのは肩の緊張がとれたことで、
慢性肩こりの私は肩の力を抜くということがどんなことなのかまったくわからなかったが、
首から肩にかけての硬直がとけて肩のラインが下がったのを実感できた。
これが肩の力が抜けた状態で、
肩こりのない生活ってこんなに素晴らしいことなんだと思った。
定期的にこの整体のお店にお世話になることになった。
そんなとき『自然治癒力を発動させる3つの条件』というタイトルの本が目に入り、
読んでみると興味のあることが書かれていたので購入した。
「きれいな血液が十分な量をもって体のずみずみにまで循環することが
自然治癒力を発動する条件である」と書かれていて、
腸の働きや、日常の食生活、体の歪み、心の働きについて詳しく記されていた。
私はこの本に共感して、施術後の体が軽くなった感じや、
心の働き、間違った日常生活が及ぼす健康への害を私も伝えたいと思って、
周囲の反対を押し切り、ビオネ総合整体学院中百舌鳥校に入学した。
私自信が施術する側になろうとは思ってもみなかった。
人生ってどこでどうなるかわからない。
◆ 私の自信の源。気を送る先生との出会い
ビオネ総合整体学院の初級・中級コースを経て、
上級コースは健康塾で授業を受けることに決めた。
初めての岡田先生の授業は先生の施術を受けることだった。
うつ伏せに寝ている私の両肩に先生が両手を置いてしばらくジーっとしていた。
そうすると両肩がすごく熱くなり、「気」というものを感じた。
よくテレビや雑誌で「気」についての言葉を耳にするが、
信用していなかった。そのときの感動は今でも忘れることができない。
人間には不思議な力があるんだなーっと感じ、
同時にこんなに素晴らしい先生のもとで整体の授業を受けれることに感謝した。
私もいつか岡田先生みたいに「気」を送れる施術がしたい、と志を持った。
岡田先生の授業は施術を中心に進められた。
少人数制(生徒は2人、または私1人)だったので、
わかりやすく丁寧に指導していただくことができた。
先生を施術することもしばしばあり、
「その押し方は違う。もう少し、下向きに」
「そんな押し方じゃあかん。もっとゆっくり入る」
「常に垂直圧になるように考えて押すこと」と
微妙なニュアンスのところまで丁寧に教えていただいた。
今思うと、あんな恐ろしいことを先生はよくしてくださったなーと思う。
素人が押すのを受けるというのはとても怖いことだということを、
ビオネ総合整体学院の大勢の勉強会で初めて知った。
岡田先生の指導の下、私は無事ビオネ総合整体学院を卒業することができた。
健康塾・岡田先生の下で上級コースを受けたことは、
今日の私の自信の源となっている。基礎の技術だけは誰にも負けない自信がある。
素晴らしい先生に出会えて感謝している。岡田先生ありがとうございました。
◆ 整体とエステ。いざ、実践へ、お金を頂くということ
卒業後、卒業生が経営する整体のお店に就職することに決まった
(この件も岡田先生にお世話していただいた)。
2Fが卒業生Kさんの経営する整体で、
1Fが奥さんの経営するエステティックサロンである。
Kさんも奥さんもすごくいい方で、
人間または経営者として私は見習うことがたくさんあった。
Kさんが空いた時間に実践的な施術を教えて頂くことができ、
そのときのことが今でも役に立っている。
私の時間があいているときは、1Fのエステティックサロンを手伝わせていただいた。
奥さんはすごくきれいな方で、
モデルのようなスタイルである。
奥さんやここに来られるお客様を見ていると、
女性は何歳になっても美しくありたいと思うもんなんだなーと感じた。
私自身、体のラインがぼやけるとか、
顔にシミやしわ、その他のトラブルが増えるとか考えもしなかった頃である
(今は毎日この思いを実感している)。
ここでもいろんなことを教えていただき、
本当に感謝している。
奥さんにはアロマテラピー・トリートメントの施術を教わった。
「そんなやり方じゃお金なんてとれないよ」
と言っていただき奥さんが施術を受けてくださり、
丁寧に指導して下さった。
その結果、お客様から「ホテルのマッサージよりも気持ちよかった」
と言って頂くまで上達することができた。
今でもKさんと奥様に感謝している。ありがとうございました。
◆ 素肌美人を目指して、フェイシャル学校へ入学
就職中に将来の展望が見えてきた。
女性はいつまでも美しくあり続けたいという願いがあり、
日々努力している姿を目の当たりにして、
女性だけのサロンを開業することができたらいいなーと考えるようになった。
女性であれば美しい素肌になりたいと願うはず。
素肌がきれいであれば、化粧ノリも全然違うし、見た目が若く見える。
そんな考えからフェイシャルの学校に通うことに決めた。
フェイシャル・トリートメントは思ったよりも難しかった。
快、不快を感じやすいお顔のトリートメントをするのは
とても神経を遣い大変なことであったが、無事卒業することができた。
しかし、ここで得たものは何よりも私自身の肌に対する考え方が
変わったことで、無頓着さが解消されたことである。
◆ 整体を学びに中国へ短期留学
就職中、もう少し別な角度から整体を学びたいと思い、中国に短期留学した。
日本語しか話せない私だが、
日本語を勉強している学生が通訳についてくれるのを知って、
あまり深く考えずに中国に向かった。
短い期間の留学だったので、
推拿整体のやり方と大学病院での実践を中心に勉強した。
ここでも素晴らしい先生に会うことができた。
「気」というものを体感できる王先生だ。
王先生にしてもらうと、
手が触れた瞬間から体が軽くなっていくのがわかる。
先生自体から明るいオーラが出ているような方で、
中国でも一、ニ位の整体の先生だそうだ。
大学病院での実践では、孫先生が丁寧に指導してくださった。
孫先生も有名な方である。
中国の方はすごく勉強熱心で、
先生が整体をしていたら生徒はそばにいって患者さんのあいてる体の部分を使って、
とにかくやってみるという感じだ。
そしたら先生がこういううふうに、いやそうじゃないとかやり取りしていて、技術を学んでいく感じである。
初めての実践では緊張してどうしていいかわからず戸惑っていたが、
じーっとしていても何も得ることがないので、
先生のそばにいって、
私もとにかく患者さんの体に触れて見よう見真似でやってみた。
施術には肘や手の平、
手の甲、指先、などいろんなところを使う。
整体の幅が広がり、さすが中国4000年の歴史と奥深さを実感した。
施術の仕方が良かったら「トゥイ」、
間違っていれば「プートゥイ」という返事が返ってきた。
言葉はあまり通じなかったが、
楽しく有意義な留学生活であった。
最後の日、先生が「あなたは筋がいいから
もっと勉強したらもっとうまくなるよ」と言ってくださった。
これも、基礎を徹底的に教えてくださった岡田先生のおかげである。
中国でも二人の素晴らしい先生に出会えて、
本当に私はついている。
◆ 夢のスタートライン。開業へ
私の夢をスタートさせる時が遂にきた。
女性専用のサロンを自宅の一室を使い、
開業することとした。
どういったサロンにするか悩んだ。
自分だったらどんなところに行きたいかを考え、
私の施術とこの空間でゆっくりとリラックスしてリフレッシュしていただきたい。
プライベートサロンのような感じにしたい。
という思いから、一日三人までの施術と決めた。
BGMはクラッシック音楽を流している。
これはホテルやちょっといい所の喫茶店なんかに行くと、
クラッシック音楽が流れているからだ。
私自身少し優雅な気分になり、日常を少し忘れてしまうことができ、
その空間と時間を楽しむことができるからだ。
お店の名前はずいぶん悩んだ。
わが子に名前をつけるのはこんな感じなのかなーと思いながら考えた。
現代人は忙しい毎日を送っている人々が大勢いて、
身体がカチカチになって、心までが疲れきっている方が多い。
疲れてくると姿勢が悪くなり、胸が圧迫され、呼吸が浅くなり、
さらに疲れが増し、悪循環に陥る。怒りっぽくなったり、
考えに行き詰まったり、そういう方が多いよう思う。
私はこのサロンに来てくださる方の心と身体が深い呼吸をして、
本来の自分を取り戻して欲しいという願いを込めて、
身心呼吸〜しんこきゅう〜と名前を付けた
(正しくは“しん”は身と心を合体させて自分で創った文字。)
◆ 自分の身体の痛みや動きに敏感になれ
整体、アロマテラピー、フェイシャルを施術している時、
私自身本当に楽しいし、嬉しい。
手の感じからお客様の状態を把握し、
感覚で施術していく。私自身、技術中心に勉強してきたせいか、
自分の手の感覚に頼ることが多い。
施術後のお客様の顔の自然な笑顔がこぼれる時も本当に嬉しい。
日常気をつけていることは自分の健康管理と
自分の身体の痛みや動きに敏感になること。
身体の痛みや動きに敏感になると、
この痛みはどういう動きをした時に感じるものか、
この時に連動して使っている筋肉はどこか、
この動きをする時どこの筋肉が連動して使われているかを
常に考えるようにしている。
そうすることでお客様の痛みがわかり、
的確な施術ができると考えているからだ。
毎日が自分の身体を使っての実践で発見があり楽しい。
お客様にここでしか味わうことのできない心の落ち着き、
身体の軽やかさを体感していただき、
いつか岡田先生や王先生のようないい気を送れるような
施術者になりたいと毎日思いながら施術をしている。
『調体和塾“い座”』 代表 白藤 学史 さん
◆ 整体修行の心意気
「一度言った事はニ度と言わん」健康塾に入学を決めた時、
先生の□から放たれた。チビリそうになった。
初めからガチガチに緊張しながら話を聞いていたにもかかわらず、
さらに追い込みをかけられたのである。
しかし、わりとすぐに元のガチガチの緊張状態に戻った。
当たり前の言葉だから。
物事を習うという事は、
整体に限らず、先生から送られて来るものを、なるべく多く受け取る事だと思っている。
技術や知識だけでなく、
仕種、雰囲気、目指している事、物のえ方、思想、行動。
これらの事は授業の中だけでは分からない事も多く、
道で見掛けた時や、雑談、教えて頂いている事とは
全く関係の無い集まり等で出て来る、その全てを観る。
もちろん、全部吸収できるわけではないし、
自分に合わない事も有るが、とにかく、一度受け取り、感じる。
そう、伝統芸能や職人等の徒弟制度である。
学校説明の終りに言われた言葉がある。
「学校という制度化された状態では伝えきれない事がある。
そういう事も伝えて行きたい」
◆見えない大きな力に導かれて整体の門に入る
「手技療法の技術は山程ある。
表面に見える技術を求め、身に付ける事も大事だが、
もっと根本的な事を学んで欲しい」 初めての授業を受ける時、この言葉が飛び出した。
無器用な私にとって、少しホッとしたが、
同時に、それが掴めなければ、何も出来ないのだ、
という恐怖と気合いが入り交ざった複雑な思い。
そして、そういう事を教えて頂けるという嬉しさ、
が一気に押し寄せて来た。
この学校に決めて正解だと確信したのは、早くもこの時であった。
やっと整体の道に踏み込む事が出来た。
元々なりたかったのは理学療法士であるが、
その時から考えると、約二十年掛かった事になる。
小学校三年生の頃、父が交通事故に遭い、
病院で行われているリハビリテJションの乍を知った。
実際に行なわれている所を見た記憶は無いが、
その時に理学療法士という仕事を知り、
強烈に惹かれたのは覚えている。
小学校の卒業文集で、将来の夢として。
“理学療法士”とハッキリ迷う事無く書いていた。
その後、理数系の勉強が苦手で挫折するが、
すぐに体への興味を取り戻す事になった。
パントマイムと空手をやり始めたのだ。
それぞれのきっかけで出合い、
全く関係無いと思われた二つが、
年月を経るにつれて重なり始めた。
休の部分部分を意識する事、それを別々に、
あるいは繋がって使う、休の軸を作る、体重を動かす、
遠い所から動く等、それらの事で美しい動きになり、筋力の少ない者に力が出る。
そう考えるようになっていった。
昔から苦手であった運動の概念が変化し、
自分にも動きの可能性を感じられるようになって来た。
この事が体を改めて見つめるきっかけとなった重要なポイントであった。
そしてもう一つ、この頃、大きな出合いが待っていた。
大学の空手部で、OBの方と接する機会が度々有り、
その人は、強烈な“我”を発する事無くそこに存在していた。
健康塾の岡田先生であった。
大学卒業時、あるOBの方に「整体をやりたい」と話した所、
先生に話を通してくれた。
しかしその頃、まだ学校を立ち上げていなかった。
他の学校の資料を取り寄せたり、施術院に話を聞きに回っていたが、
「これだ」というものが無く、生活のために就職した。
整体の道をあきらめて毎月の給料でコツコツ生活をしようかと思ったが、堪えきれなかった。
営業の車の中でFMラジオから流れる音楽を聞きながら、
ネクタイを締めて運転している、
バックミラーに写った自分の姿を見て「何をしてるんだろう」
時間が無駄に消費されている様に思えた。
再び先生の下を訪ねた。その頃は学校を始動させていた。
話を聞き、踏み込む決心をした。学校選びは全く迷う事が無かった。
整体の技術や、
現在、先生が啓蒙活動をしているホリスティック医学の事などは良く分からなかったが、
物の見方、考え方が、今までパントマイム等の身体表現活動や、
空手や武道を通して自分なりに作って来た思想と驚く程似ていた。
先輩という関係が有っても、
合わなければ入学はしないという気は十分持っていた。
しかし、それは不要の物となった。
そしてこの場所が自分の来るべき所であったと実感した。
奇しくも、入学前、私が体に目を向けるきっかけとなった父が他界した。
私にこの道を知らせ、導いてくれるために生を受けたかの様に。思えば、
父の事故を含めて、運動が苦手であった事、
理数系が不得意であった事、受験に失敗、
パントマイムを始めた事、大学入学して、空手部に入った事。
失敗やコンプレックスも、何かーつが欠けても、
違う方向へ行っていたのに。全てが整体の道へ入るため、
先生と出合うために流れて来た様に思える。
「この仕事をしていると、何か目に見えない大きな力が働いていると思う事がある」
様々な場面で聞かせて頂く事のある言葉だ。
◆指先と受療者が一体になる。“水月移写”を求めて
「自分の手が行きたがっている所を施術したら良い」と授集中に言われた。
そんな事が出来る様になるんだろうかと思いなから、
技術としての目標を、そこに設定した。
「接触部分で力の量、方向を把握しろ。
手で見ろ、感じろ、柔らかく使え」と同じ様な異なる言葉で
繰り返し感覚の重要性を説かれた。
実技の授業では基本的な押圧方法、施術コース、
応用等を教えて頂いたが、その中で感覚の話しが出たり、
チェックされる事は無かったが、
その分、自分で“感じる”という事を忘れない様にしなければならない。
常に試されている気がしていた。
現在、施術を行なっているが、
“手が行きたい所”は今だに掴み切れていない。
しかし、頭で考えた事に縛られない様に気を付けてはいる。
「硬結を取ろう・痛みを取ろう・動きを良くしよう」等と考え、
意識して施術していると、どうも上手く行かない。
指先に意志が乗って受療者に届けようとしている。
受けている人自身が気付かなくても、体が気付いている。
私の意志が押し付けられそうで反発し、受け入れてくれない。
開き直って、ただ指先の感触に集中し、
コリ等の物理的な物だけでなく、
体の雰囲気を感じようとする体と触れている部分が、
お互いに馴染んで行き、一体化する様な感じを味わおうとする。
そうすると、意外と始めに意図した様な状態に変化していたりする事が増えて来た。
施術中は、ゆったりとした時間が流れ、
浮遊感に包まれる。気が付けば、
施術の場としての空気が整い、一つの空間が生まれる。
舞台では同じ事をしなければならない。
舞台に立つ人間と観客との間で一つの空気感が構築されなければ、
いくら良い作品でも、良い舞台にはならない。
もちろん共演者も、さらに音響、照明といった裏方、
劇場等舞台としての場、それらが全て一つの空気感を共有する。
そして武道でも。“水月移写”という言葉がある。
水は月を写そうとして写しているのではなく、
月は水に写ろうとして写るのではない。
これは、意識や無意識的な領域を含んだ全てが水面の様に安定していれば、
感じようとしなくても、水面のざわめきを感じ取るという事である。
これは、空手の一環として武道の講習を受けるようになった時、
和歌山のある武道家の先生から教えられた。
「武道の世界では情報収集の間違いから命を落とす。
相手と正確に向かい合え」と。全てが繋がった。
身体機能と無意識的な領域は関わっていると実感として思わざるをえなくなってきた。
「何をするのか、明確な意識を持って施術を行なえ」とも言った。
その上で囚われない様に。
まだまだ違い道のりだが、“根本的な事”とは、この辺りの事かと、今は理解している。
◆施術者と自然治癒力
「施術者が楽にしてあげるのではない、
自分の自然治癒力で楽になるので、施術者ができる事は、
そのスイッチを押すだけ」とよく、そう言っていた。
施術者が何かをしてあげるというのは傲慢だ
という様な考え方が有るのを知って安心した。
自分の行動が結果的に喜んでもらえるなら、
それに越した事は無いしもちろん嬉しい。
しかし、自分の中に、
人に大きな影響を与えることができるような力が有るとは思えなかったから。
「〜してあげる」という強者的発想で、
押しの強い言葉も気に入らない。
ただ、年月が経てば、そう思ってしまう事になるかもしれない。
これは戒めとしても理解した。
始めは、自然治癒力は本人の力という事と、
施術後指示した運動を家で行なうなどすれば、
体の変化は出て来るという程度の認識で
「楽になる主役はあなた自身ですよ」
と言っていたが、自分で“運動する”という行為よりも、
普段の生活パターンとは少し違う事をするので、刺激を受け、
脳が、体が、細胞が、普段のパターンから変化するのではないかと思う様になった。
授業では、“心・体・食”をトータルで観るようにと教えられたが、
これは“体”へのアプローチからの見方である。
“食”では、健康塾でバランスから考えた食事指導を、
先生が上級の講師をしている総合整体学院では腸内細菌から見た食事指導を学んだ。
“体”や“心”と同様、方法論として素晴らしい物だと思っているが、
その上に、普段の食事を変化させようと思う、
本人の決意・意志が刺激として今までの体に変化をもらたすのだろう。
“心”でも普段の気持ち、
考え方が変化する事による刺激が様々な変化を触発すると。
自分の力というのは、
今までのパターンを変えようと行動するための意志の力だと思えば、
他人からは、きっかけを提示する事しかできないのは当然だろう。
「家庭環境等で、体の状態が改善できなくても良いという人もいる。
無意識で変化を望んでいない場合があるんだ」とたまに聞く事がある。
◆屋号という私の思想表現
「前期・後期が終った頃には、
お金をもらえる技術を付けてもらいたい」と先生に言い放たれた。
今の自分の力でお金をもらって良いんだろうかと、
戸惑いながら素直に従い、
たまに施術した人からお金を頂く様にし、タウンページにも載せるべく動き始めた。
「屋号を考えなくては」まず、あまり無さそうな名前にしようと考えた。
この辺に関しては浪人していた頃にさかのぼる。
それまでは、他の人と同じ事をすると、
何も自信を持ってやる事ができなかった。
常に能力の低さを感じ、コンプレックスで固まり、
受験というフィールドの中で、恨み、妬み、嫉妬、猪疑心等、
負のエネルギーで満ち溢れて目は攣り上がっていた。
それを変えたのはパントマイムであった。
特に興味があったわけではなく、
あまり人がやっていない事をしよう。
そんな動機であった。
作品を作ると、今までとは違い基準が明確でなく、
意外に評価される事もあった。
勉強、音楽、運動、何一つ得意な物がなく、
苦手な事だらけで今まで生きて来て、初めての経験であった。
変わった奴という印象がつき始めたが、
周りの目は気にならなくなっていた。
それからは本流を避けて自分で考え、
変化をつけた事を選び始めた。
そういうわけで“〜整体院”というのは避けたかった。
そこで、舞台活動で、まいむ集団“い座”という団体を立ち上げており、
同系列の名前にしようと思った。
整体に留まらず、身体表現を含めた身体活動全般を視野に入れていたからだ。
健康塾から。“塾”の一文字は頂くつもりで頭に有った。
武道の考え方から“和”という言葉を取り入れた。
読み方を少しひねって“やわら”とした。調和の“和”。
ひらめいた。
“整体”という言葉の響きが、どうも気に入らなかったが、
近い言葉ができる。体の調律で“調体”。
どうだろう? 調体和塾“い座”。響きも良い。
決定が!! 調子の良い体、体調。体が和む、和らいだ体、調和、和らいだ調子、どうとでも繋がる。
先生に許可を得るため、屋号を告げた。
「面白いけど何か分からん。“整体”をどこかに入れたら」と返された。
頑固な私は、そのままつっ走った。
先生の言葉に初めて背いた。
“守・破・離”の“破”に片足を踏み込んでしまった。
まだまだ“守”の段階なのに……。
◆いつか師匠、先生、先輩を超えて恩返し
「岡田の弟子だと言ってもかまわない」
健康塾の前期・後期を終了した後、総合整体学院の上級へ編入し、
その認定が終わった時、私に向かって言ってくれた。
独立した今も怒られ、打ちのめされ、技術は直され、刺激を受けている。
師匠が思う様な弟子には育っていないだろう。
私は目標に向かって真直ぐに猛進する人間ではない。
寄り道をしながら、無駄に思える事も見て行きたい。
軸になる事に戻った時、本当に無駄になるか、
強力な力になるかは、本人の思考次第であると思っている。
総合整体学院の卒業証書を頂く時、話す機会を与えられ、
大口をたたいてしまった。
しかし今回、今だに師匠の姿が指先にも引っ掛かっていないにもかかわらず、
この機会にもう一度、同じ事を言ってしまおう。
「師匠を始め、ご指導頂いた先生方、先輩方に対して最高の恩返しは、
恩を受けた方々を越える事だと思っている」。
最後は、この、私自身の言葉で締めくくる。
『調体和塾“い座”』 06-6444-1860
「真兪整体の会」西日本支部長 松林庵 代表 松林 司< さん
◆華麗なる整体師
「やばいなー」最初の授業で岡田先生の施術をうけた感想です。
そのやばいほどにすばらしい施術に感動すると同時に
「こんなふうにはたして自分も出来ようになるのだろうか?」
と一抹の不安がよぎったのを今でも忘れることが出来ない。
しかしもう後にはひけない。
僕はすでに広島からでてきているのだから・・・やるしかない。
僕は腹をくくった。
それからは先生からもらった模範のビデオを家で繰り返しみてイメージトレーニング。
そして授業。そしてまたイメージトレーニング。
今、考えればそのビデオがなかったら
こんなに早く上達することはできなかっただろうと思う。
そのビデオは先生が施術される様子を録画したものですが、
整体を全く知らない人が見ても、
体の動きが芸術的に美しいことに気づくと思う。
いつでも模範のビデオで勉強できるというところが私にはとてもありがたかったですね。
◆限りない質疑応答
僕が健康塾を選んだ最も重要な理由のひとつは
現役の整体師の先生に教えていただけるというところでした。
大きな整体の学校では雇われの先生たちの指導になる。
施術の現場から離れた人に教えてもらうのと
現役でやっておられる方に教えてもらうのとどっちがいいだろうと考えたとき、
僕の答えは明確でした。
僕の期待以上に岡田先生は整体以外の「実は一番大切なこと」を
惜しみなく伝授してくださいました。
雇われの先生からは間違えなく教えてくれないであろう奥義の中の奥義。
これは僕のこころの引き出しに大切にしまっておこうと思っています。
◆第二の親父
岡田先生は僕のような一生徒を心からかわいがってくださり
第二のパパって感じでした。
子供って疑問に思ったことは何でも聞いてきますが僕はそれに似ていたと思います。
「
子供ってどうやったら生れるの?」
そこまではいかないにしても僕のくだらない質問にも、
ごまかさないで一所懸命こたえてくださいました。
「岡田先生はいつも質問を歓迎してくださいました。
僕はいつしか岡田先生大好き人間になっていました。
僕もいつか岡田先生のような施術者になりたいし良き教育者になりたいと思います。
岡田先生、本当にお世話になりました。
「松林庵」さんのホームページ
URLはhttp://www.shinyu-seitai.com/です。

