エナジーフィールド

 

講義をするときに感じる事ですが
生徒さんと向かい合って話しをしますね
その時私と生徒さんの間に
エナジーフィールドが発生する。
とよく言います。

 

これはクライアントとセッションをする時にも
感じると言うか意識をするのですが
「どういう風に説明したらいいかなぁ」
と色々考えていた時
一冊の本にめぐり合いました。

 

茂木健一郎さんの
「脳の中の人生」と言う本です。

コラム風にかかれた読みやすい本ですので
一読をお勧めいたします。

 

その中の“「劇場型」英語克服法”の中に

『野球、サッカーなどのスポーツや、
演劇、ミュージカルなどの芸術を、テレビで見るのとライヴで見るのとは迫真度が違う。
〜中略〜  私たちの脳は受け取った刺激 が単に情報として届いているのか、
それとも目の前で現実に起こっていることなのかを見分ける力を持っているからなのだ。
〜後略』

と言うところで、ふんふんと納得しました。

 

また違う項目では、

『イチローは何故バッターバックスに入る前にぐるぐる振り回すしぐさは何故なのか』
等と興味深い項目が一杯です。

この振り回しは「ボディーイメージ」と
言う言葉で表現されていますが
それぞれどんな時にどんな脳(どの部分)が
使われているかがかなり解ってきているそうです。
でもまだまだ脳の仕組みは未知数である部分も多いとか。

 

整体の授業ではこの「ボディーイメージを大切にする」
と言うことをいつも言っています。

整体に限らず新しい事に挑戦する時の
“ぎこちなさ”が頭のトレーニングになります。
そう、整体は頭のトレーニングなのです。
体の調整ではなく脳へ刺激を直接インプット
この感覚がとっても大事ですね。

 

私は整体が終わった後によく言う言葉に
「セッションは治癒力のスイッチを入れます。
セッション中は8割調整をします。
後の2割は、今スイッチを入れましたから今から体が動き出しますよ。」
このときに必ずエナジーフィールドを意識します。
整体は物理的な療法ではなく
意識の変革を提供するセッションだと考えています。

 

からだに聞く

 

「暖簾に腕押し」「柳に風」など
「相手の力を受け流す」
そんな意味のことわざがいくつかある。

 

イソップ物語に「北風と太陽」というのがある。
旅人のコートを脱がそうと、
北風と太陽が話をしている。
最初は北風の番だ。
ピューと吹き飛ばそうとするが、
旅人はコートを飛ばされまいとしっかりつかむ。


北風が頑張れば頑張るほど
旅人は前にも増してがっちりとコートをつかむ。
とうとう北風はあきらめた。

 

今度は太陽の番だ。
太陽はニコニコと旅人を照らし始めた。
しばらくすると旅人は、
暑くなってコートを脱ぐ
という話だ。

 

整体も同じである。
強い力、痛い刺激を
加えると手を当てている部分が緊張し、
かえって緩まないのである。


がむしゃらに押しても体表が痛いだけである。
相手と一体に成るつもりで
やさしく関わっていく事が大切である。

 

体は自分自身の戻る方向を知っている。
北風と同じように無理やりには
コートを脱がすことはできない。

 

愛と感動の整体スポ根物語

 

今は昔のように食べ物で季節を感じることが少なくなりました。
何でもいつで手に入ります。
しかし季節はずれの人工物は本来の力を宿してはいません。
なんにでも「旬」というものがあります。


整体で体の調整をするときもこの「旬」という感覚が大切です。
まぁ「旬」とは表現しませんが、
「間」や「呼吸」を大切にします。

 

「ぐーっ」と押していく時も、
「どこまで押すのですか?」とよく生徒さんに聞かれます。
「ううーんっ、体がもういいよ」と言うまでだよ。
と答えるがこれは大変わかりにくい。


「体がしゃべるか」と突っ込まれそうですが、
感覚的にはまさにそんな感じです。

押すタイミングに関してもクライアントの呼吸に合わします。
正確に言うと無意識のうちに二人で合わします。
これが私が整体はセッションだという理由です。
まさに「息が合う」という感じです。

 

整体にしても食べ物にしても、
この「旬」(タイミング)を逃したらうまくいきません。

 

心を落ち着けて、
「すうーっ」と息を吐きます、
指先に感じる微妙な感じを頼りに、
圧の強さ、角度、方向を決めます。
「ぴたっ」と感じる瞬間があります。
この時の一体感は絶妙です。

 

凡夫にとってはまだまだ名人への道のりは遠いですが、
一つ一つ感覚を磨いていきたいものです。
汗と涙の数だけ素敵になれる。
そんな愛と感動のスポ根物語の世界です・・・。

 

自然治癒力の発動

 

身体は自然治癒力で変わります。

 

私の整体は施術を8割で止めます。
勿論その8割で最大限の心地よさや
効果は提供していきたいと思います。

 

しかし
自然治癒力のスイッチを入れさせていただくと言うことで
終わった時点から
さらに体が本当に動き出すのです。

 

だからその日の晩とか
翌朝に体のバランスのピークを持って来るように調整します。

 

それがその人の持つ治癒力を最大限に
活性化させるポイントであり、
セラピーをセラピストに依存をさせない方法と考えます。

始めなきゃ始まらない

 

先日整体学院の生徒さんから
「果てしない整体の道を思うとめまいがしそうです。・・・。」
というメールをいただきました。

 

「なんでもその道を極めるのに10年はといわれています。
そこからがまた出発でしょう。」
という趣旨のお返事をさせていただきました。

 

私の学院では授業の最初に
「何か質問はありませんか?」
がお決まりのセリフです。
「○○○は?」とか
「この間の○○のついてもう少し詳しく・・」
とか
「今日はありません」
とか様々な答えが変わってきます。

 

もちろん分からないことを習いに来ているのですから
知らないということに対しては仕方ないと思います。
でも、今日知らなかったことに対して
次回来るのでの間にどう取り組んでるかで
進歩の度合いが違うと思います。

 

先日ある有名予備校の「○会」というところのブロクに
こんなコメントが書いてありました。

【実践していない人は、「いつもハッとさせられます」

「気づきを得ています」「目からウロコです」とかばっかり。

ハッとするのはいいが、結局何も変わってない。】


質問してもそのあとの実践が伴わなかったら
結局は自分の力になっていきません。

整体の勉強も頭で理解できることと
感覚として手が動くことは違います。


これにはやっぱり数をこなす(経験を積む)
ということが一番必要になってきます。

「理論と実践」これは車の両輪のように
両方とも必要です。


『ローマの道は一日でならず』
継続が大切ですね。
そして、もう一言。
『始めなきゃ始まらない』

 

動中静在り、静中動在り

 

昔、太極拳をかなり本気でしてたことがあります。

理論が好きなのでそんなことをよく友達と話をしていました。

 

太極拳十要に「動中求静」というすばらしい言葉があります。

 

この「動中求心」というのは私が好きな言葉の一つで、

それを少しアレンジして、

「動中静在り、静中動在り」 と整体の指導をすることがあります。

 

動きの中に静を求めよとか、

静の中に動きを求めよとか なにやら禅問答のようですが、

僕はとても好きなフレーズです。

 

整体で一番最初に手を置くところ、

その時のクライアントとの雰囲気で決めます。

 

かっこよく言えばインスピレーションです。

クライアントが私の手を呼んでいます。(言いすぎかな?)

 

昔師事した先生がよく「悪いとこへ手が行く」っておっしゃってました。

ちょっとその感覚がわかってきた今日この頃です。

 

クライアントよよって施術方法が毎回微妙に違います。

その一手目をどこに置くかを考える時 私の中で「静中動在り」になり、

一度動き出したら最後まで気を切らずに施術をしますが、

それは「動中静在り」の気持ちです。

 

太極拳をやっている時いつも考えていたのは

「ユベ(予備)」から「チーシー(起勢)」までの一瞬に 体はまだ止っているが、

内在している気が螺旋を描き そのエネルギーが体を動かし始める。

 

その瞬間がとっても好きだったことです。

今、整体で一手目を置く時が丁度そんな気分です。

動き出したら結構無意識で動きます(施術をする)。

そして最後の手を離す時、エネルギーを終焉させる。

そんな感じでしているつもりです。

 

今の整体のベースにこの太極思想は大きく影響しています。

太極拳には武術としての一面と、 動く禅としての一面があり、

私は整体を動く禅と考えています。

 

だから整体をすること自体はしんどくなく、

頭がとってもピュアになり、

色々な考えが泉のごとく湧き出してきます。

 

ただ途中書き留めることができないので、

終わって「さぁ書きとめよう」と思った時には忘れているところが凡夫の悲しさです。

 

後押し

 

イチロー選手が以前こういうことを話していた。

 

「打撃は、ボールを打つ瞬間に生じる狂いを調整するための体の使い方がすべて」
「その誤差を修正するセンサーを持つ事がこそが大事」

彼の場合は努力+天性の感覚がすごいのだろう。


そしてまたフィジカル面だけではなく
その感性までも常に磨いているんだろな。


整体でもこの感性はとても大切なファクターです。

しかし努力の価値も認めています。
例えば高校球児は当然みんな甲子園へ
行きたいに違いない(だろう)。
そして努力もするだろう。


けれど努力の途中で挫折する人もいる。
何故だろう。

与えられたチャンスを生かせる人、
生かせない人がいる。
何故だろう。


努力が結果として現れない時は、
その努力は無になるのだろうか?

いいやそんなことは無いと思う。

学院の見学者に説明会する時、
来られる方のほとんどが転職組みになる。


その方々に向かって私が言うのは
「あなたがやってきた事(仕事)は、
整体に全部役に立つのですよ」とお話しする。
すると「えっ、全然違う仕事なんですよ」と言われる。
考え方である。


どんな仕事をするにしても一本通っている筋がある。
その部分は色々な仕事や物事の共通点のはずである。

「富士山に登るのに登山口はたくさんあるのと同じです。
クライアントもいろいろな方が居られるので、
逆に言うと人生経験の長い方が良いかもしれませんね」
と言ってさしあげる。


知らず知らずのうちに養われたものは、
形を変えても出すことができるのだ。
いや出るはずだ。
自分が「フタ」をしなければ。

 

整体の様に手でやる技は、
小さいころからから、
お母さんの「肩たたき」等をしていた人にとっては、
たやすく見えるようだ。


最初はなめてかかっていた人も、
上級になってきた要求が難しくなると、
頭ではわかっていても、
体が動かなくなってくる。


皆そんな経験をして上手くなっていく。

そんな時少し褒めて差し上げる。
すると「キラッ」と瞳が輝き、
スッ〜と扉が開いていく。

 

 

症状に感謝し協力する

 

病気に対しては、

苦しみや痛さをともなっているために、

つい無意識に嫌なものであるとか、

または否定したいもの という思いを持ってしまいます。

 

だから病気が発しているメッセージを聞き取れ無かったり、

敢えて、 聞こうと目を向けないから、

自分の誤りになかなか気づかず、

生き方も症状も改めず、

苦しんでいるという人が多いのではないですか。

 

病気の症状は、

死ぬことから自分を守るための自然性回復の現象なのですから、

この苦しみに対して、

むしろ感謝の心を持つようにした方が、

早く回避できるのではないかと思います。

 

つまり、 病気はアンバランスな状態を改善しようとして、

身体自身が行なっている治癒へのプロセスですので、

病気を心身の浄化と強化の営みと考え、

この働きに協力することが、

上手に病気を見つめていく方法ではないかと思います。

 

そうすることにより、 病は快方へ向かい、

健康度も高まっていくのだと思います。

 

 

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